歴史的教育場面

 

大正時代 忠君愛国を反映して 参考書 教育美談集 有田音松

 

寒水ヲ浴ビテ苦学シタル細井廣澤 (江戸時代の儒学者、書家、篆刻家、堀部安兵衛と交友ありて、赤穂浪士討ち入りに際して討ち入り口述書の添削す)

気節アル遊女喜遊 (ふるあめりかに袖はぬらさじ)

軍学ヲ窃聞シタ豊臣秀吉

継子ヲ庇護シタ歌依ノ妻 (欽明天皇に仕えた馬飼歌依の妻、讃岐、御所の火事に息子二人が父の罪を償うため火中に投げ投入りられるを助く)

継母ニ孝順ナル五郎正宗 (国宝日向正宗の刀鍛冶)

孝経ノ孝子宮崎筠圃 (江戸時代の儒者、病身故、灸ヲ施される吾身を嘆く場面、身体髪膚之を父母に受くによる)

孝貞ナル藤樹ノ妻 (中江藤樹の妻、久)

孝悌ヲ全ウシタ二宮尊徳

三兒ノ孝心父ノ罪ヲ救フ(大阪の勝浦屋太郎兵衛の年端もいかぬ実子、いちとまさ、養子長太郎三人が罪を得て囚われた父親の釈放を、願って町奉行の屋敷に日参して父の罪を特赦された話)

四年ノ喪ニ服シタ伊藤仁齊 (江戸前期京都の儒学者「童子問」)

終始一貫ノ浮田秀家 (恩赦を固辞し、流刑地八丈島に死す)

十二歳デ父ヲ連レテ四國巡拝ノお米 (徳山の人、三十一年にわたり父金左衛門、六十八歳死去迄看病す)

徐福不老不死ノ薬ヲ求メテ日本ニ来ル (始皇帝の側近)

信長ヲ勤王家トシタ立入宗継

大名トナッテ按摩ヲシタ豊臣秀吉

悌道ヲ全ウシタ池田忠継

人買ヒヲ改心サセタ三郎兵衛

西郷ト勝トノ談判

赤穂義士ヲ薫陶ッタ山鹿素行 (山鹿流兵法の祖)

祖母ノ墓側ニ服喪シタ高山彦九郎 (墓側に喪屋を建て、三年間喪に服す)

道灌義政ノ裏ヲ掻ク (足利義政公の猿を調教する場面)

銅銭百文デ苦学シタ平田篤胤 (江戸時代の国学者)

髪ヲ断ッテ藩主ヲ泣カシタ孝女多津

貧家ニ生レシテ喜ブ山崎闇齊 (江戸時代の儒学者、神道家)

不忠不孝トナイタ渡辺崋山 (三河国田原藩士、文人にして画家)

夫ナラヌ夫ノ英魂ヲ弔ヒシ辨内侍 (後醍醐天皇の女官、楠正行の戦死後に出家、「大君に仕えまつるも今日よりは心に染むる墨染の袖)

夫ノ死ヲ知ッタ重成ノ妻

母ヲ負ウテ吉野ニ遊ンダ頼山陽

和気清麿ト弓削道鏡

賄賂ヲ防イタ板倉勝重

 

 

参考

昭和八年当時継宮昭仁皇太子殿下ご誕生に際して

参考 看板画像