丸平大木平藏の御所人形

 

御所人形 

は江戸時代京の都で御所をはじめ諸門跡や各堂上家の間で扱われた童子の姿の様々な人形を引きくるめての総称ではないかと、吉川観方先生(画家、風俗資料収集、研究家―江馬務先生と共に丸平大木人形店顧問)は解説しておられましたが、明治時代になると幼児のふくよかな姿態をとらえた人形を御所人形と統一して呼称するようになりました。江戸時代には、諸大名が、四季の御祝儀や参勤交替等の途中御所方へ御挨拶に参上、その返礼として多くの人形を賜ったので、大内人形、拝領人形の名があり、それを江戸屋敷や藩地に持ち帰ったところお土産人形ともよばれたと、吉川観方先生の記述にあります。又江戸当時の大阪の人形商の伊豆蔵屋から由来するいづくら人形、又幼児の肌の白さから白肉(しらじし)白菊、頭の大きさから頭大人形とも呼ばれていました。

 

丸平では、立ち姿のものは、立稚児、坐り姿のものは居狂、つくね等とと呼んでおります。なお、丸平では今日でも木彫りもしくは、練(桐塑)で身体全体を成形したものを御所人形としています。

 

 

衣装着 立稚児 「後列真ん中一対だけ本狂」四世、五世の時代

 

 衣装着 立稚児のお花見

 

戦前の小さな御所人形飾り 四世

 

可愛い御所人形 色々

 

衣装着 お座り 四世

 

衣装着 お座り 五世

 

衣装着 這い々 四世

 

這子、おとぎ這子から這い々、立雛に変化

 

立稚児 袴着




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